2019年の紅白歌合戦の出場を決めたゆずの北川さんと岩沢さん。
2017年には大トリを務めました。
2018年末には炎上騒ぎがあり、落選も覚悟していましたが、選ばれて良かったです。
紅白で歌う曲は「栄光の架け橋」?それとも「虹」?
ゆずっこ歴20年の私が大胆予測します。
かつては路上シンガーだったゆず(北川悠仁、岩沢厚治)は、2019年紅白歌合戦で10回目の出場となります。
今回は、ゆずっこ(ゆずファン)の私ソラが、過去9回の紅白歌合戦で、ゆずがたどってきた軌跡を、初出場から2017年まで、過去曲をたどりながらお伝えしたいと思います。
調査するのは
「2019年紅白歌合戦でのゆずの曲は⁈」
「ゆずの紅白歌合戦出場の軌跡を過去曲と共にたどる」
以上の2点です。
それでは見てみましょう。
「2019年紅白歌合戦でのゆずの曲は⁈」
⚫︎SEIMEI
もう一歩踏み出そう!
ギター2本とは思えない広がり。
2019年5月にリリースされました。
6月からは日本生命のCMソングとなりました。
1人1人の命をテーマにした深い楽曲。
災害が多かった2019年は、この曲が第一候補。
⚫︎GreenGreen
なんで泣いちゃうんだろう。
明るく爽やかな歌の中にたくさんのメッセージがあります。
2019年7月にリリースされました。
伊藤園のおーいお茶のCMソングに決まりました。
爽やかで本当に素敵です。
⚫︎雨と泪(なみだ)
2011年の5月。
仙台にて。
そんなに泣かなくていいんだ。
そばにいるよ。
と、上2つは、一般的な予想です。
その他、
「栄光の架け橋」
や、
「虹」
などの名曲が予想されますが、
災害があって、辛い思いをされた方がたくさん溢れた2019年。
本当に本当にゆずに歌って欲しいのはこの
「雨と泪(なみだ)」
です。
以前は、ファンにしか分からない曲だったかも知れません。
でも、全国の皆さんに向けて、紅白で歌って欲しいな。
きっとみんなの心に深く届くから。
YouTubeに驚くほど溢れる「雨と泪」の弾き語り。
でも、この曲だけは、ゆずにしか歌えない。
「ゆずの紅白歌合戦出場の軌跡を過去曲と共にたどる」
第54回2003年(初出場)「夏色 」「濃 」「また会える日まで」
若い・・・。
ゆずはメジャーデビュー、4年目にして紅白出場を果たしました。
ですが私の憶測ではそれ以前から、NHKからオファーが来ていたと思われます。
ゆずのオールナイトニッポンで、「あんまり出たくない」ような話をしていたのです。
ところが、北川悠仁が、紅白で歌う和田アキ子に感銘を受け、徐々に紅白に出場する気持ちになっていったようでした。
当時まだ「全国区」ではなかったゆず。
私たちゆずっこは、この紅白決定に狂喜乱舞しました。
全員が正座をしてテレビの前でドキドキして画面を見守りました。
放送はNHKの会場ではなく、2人が路上ライブをしていた伊勢佐木町からでした。
ゆずの代表曲ともいえる「夏色」が1曲目でした。
続いて、路上時代から歌われてきた「濃」(マイケル富岡をテレビでみた岩沢厚治がタイトルを付けました)。かなりの名曲です。
最後の「また会える日まで」はドラえもんの主題歌でした。
第55回2004年栄光の架け橋
この年は、シドニーオリンピックがあり、日本男子体操が金メダルを取りました。
この栄光の架け橋は、NHKのオリンピック放送のタイトル曲でした。
男子体操の鉄棒の着地の際に「放物線を描くその先は、栄光への架け橋だ!」とNHKのアナウンサーが叫びました。
私もちょうどテレビを見ていてびっくりしました。
ゆずの厚ちゃん(こうちゃん=岩沢厚治)も、ビール片手にテレビを見ていたらこの感動的な場面に、これを聞いて、「へっ!?」と驚いたと話していました。
この曲は北川悠仁が、NHKからオファーをもらい、何ヶ月も悩んでつくりあげた曲です。
最初、北川悠仁はオリンピック選手のモチベーションが高くなるようなアップテンポの曲を考えていたようです。
しかし、
「オリンピック選手も、自分たちと同じ人間らしいところがあるのではないか。
悩んだりくじけたり、弱い部分がたくさんあってそれを乗り越えてきたのではないか。」
という気持ちに変わり、その後は、すぐに歌詞が出来上がったそうです。
第60回2009年「逢いたい」
ゆずにとっては5年ぶりの紅白歌合戦出場でした。
と言うのも、数年前から北川悠仁のお父さんが、体調を崩されていたからです。
私は前年の大分のライブに参加したのですが、そのライブ前日に北川悠仁さんのお父さんがお亡くなりになったのです。
「ライブはあるのかな?もし中止になっても私は構わない。」
と思っていました。
しかしライブは行われました。
もちろん、会場のみんなもその事実を知っています。
だけど誰も何も言わずに、楽しい曲は楽しく歌って、静かな曲はじっと聴き入りました。
悠仁は、何度も何度も上を見ていました。
泣いているようにも見えましたし、天国のお父さんに微笑みかけているようにも見えました。
無事にアンコールが終わって最後に岩沢厚治が、「みんないいヤツだよ。」と言ってくれました。
この曲はそんな北川悠仁が亡き父親の為に作った曲です。
大好きな父親が亡くなって、悲しすぎて、どうしようもなくなって、作った曲でした。
北川悠仁の本音が詰まった曲だからこそ、聞く人すべての心を揺さぶるのだと思います。
第62回2011年「Hey!和」
2011年は東日本大震災があった年でした。
平和は、2011年の1月にリリースされました。
東日本大震災の被災者の方々の癒しの曲になったと言われています。
その年ゆずは4月から全国アリーナツアーを展開する予定でした。
私は福岡会場のチケットを取っていました。
ライブツアー初日は福井会場、その次の会場が福岡会場でした。
アーティストにとってライブツアー初日と言うのは特別な意味を持ちます。
ですが、私の行くはずだった福岡会場はライブツアー2カ所目と言うことで、私は事前にゆったりと構えていました。
ところがゆずだけでなく、全ての人が、震災の影響で東京から北へ移動することができなくなりました。
当時、福井も損害が大きかったようです。
急遽私たちの福岡会場がツアーの初日になりました。
ツアーは、お金のかかった大掛かりなものから、なるべく機材の少ないシンプルなものへと変えられた形となったそうです。
日本中が悲しみに包まれたあの時、福岡マリンメッセは異様な緊張感が張り詰めていました。
「この福岡から熱い心を東北に送ろう!」
北川悠仁のこの言葉を受けて福岡マリンメッセは一体となり、音霊を東北に送りました。
その時に1曲めに歌ったのが「栄光の架け橋」です。
この「栄光の架け橋」は、ゆずはほとんど歌わず、マリンメッセ福岡に集まった観客たちが歌いました。
歌いながら気づきました。
「これはオリンピック選手のための曲だったんじゃないんだな。
私たち自分自身のための曲だ。」
と。
ゆずは言いました。
「こんなことになってツアー自体をすべて中止にしようかと全員で話し合いました。
しかし、今こそ歌を伝えよう。
と思いました。」
と。
この時に、笑福亭鶴瓶さんの一押しがあったと後に岩沢厚治さんは言っています。
第64回「雨のち晴れルヤ」
蜷川幸雄さんの劇団員さんも出てきて豪華。
雨のち晴れルヤは、同年後期の連続テレビ小説「ごちそうさん」の主題歌で、紅白歌合戦では蜷川幸雄さんの劇団の人たちの演技と踊りとともにお披露目されました。
この年の、NHK全国学校音楽コンクール中学校の部「友〜旅立ちの時」は、2011年の震災後、私も参加したマリンメッセ福岡の会場から夕日を見ながら、北川悠仁が東北に思いを寄せて作った曲です。
第68回「かける」
杉咲花ちゃんがめっちゃカワイイ。
震災後、ゆずは東北を何度も訪れます。
そのため紅白出場は、震災から4年後となりました。
この「かける」は岩沢厚治さんの冒頭の
「1人じゃない。
1人じゃない。
1人じゃないから」
に完全にノックアウトさせられる曲です。
プロモーションビデオには、今をときめく若手女優の筆頭格
「杉咲花(すぎさきはな)」
が出演しています。
この時から大変な名演技です。
第69回「見上げてごらん夜の星を〜ぼくらのうた〜」
日本の歌謡曲のレジェンド坂本九さんの曲を受け継ぐ形でゆずがリリースしました。
2016年の冬至ライブは、震災があった熊本城の広場でした。
本当に、ゆずのこういうところが大好きなのです。
第70回「栄光の架け橋」
アテネオリンピックのテーマソング。
「体操ニッポン。陽はまたのぼりました。」
1999年、ゆずを好きになって、ゆずを応援し始めて、ゆずが紅白の大トリになる日が来るなんて、夢にも思っていませんでした。
紅白初出場の時、正座をしてテレビを見ましたが、2017年も、正座をして「栄光の架け橋」を一緒に歌いました。
2017年が、ゆずの曲とともに締めくくれるのは、1人のゆずっことして最高にうれしかったです。
あなたの心にもいつもゆずの「栄光の架け橋」が届くようにお祈りしています。
そして可能であれば口ずさんでみて下さいね。
まとめ
「2019年の紅白歌合戦でゆずが歌う曲は『SEIMEI』が最有力。」
「ゆずの紅白歌合戦出場の軌跡を過去曲と共にたどってきました。
色々な事を乗り越えたからこその今、なのだなと改めて実感しました。」
2018年末の「あおり騒動」にはヒヤヒヤしました。
いろんなことあったけど、2019年も紅白で大好きなゆずの歌が聴けるのでとてもうれしいです。
ご一読ありがとうございます。
ライブツアー「エール」のDVD。
お部屋で流しっぱなしもおすすめ。
純烈もイロイロあったけど、よかったね。
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